「琴(こと)浦(うら)」とは、かつて琴浦町の海岸一帯が「琴ノ浦(ことのうら)」と呼ばれていたことに由来しています。「琴ノ浦」は別名「方見ノ浦(かたみのうら)」とも呼ばれ、身代の昔、天照大神が国ゆずりのために派遣した言問(こととい)の使いが、天より降ってこられた場所であるとの伝説から、「言問ノ浦(ことといのうら」と言われていたものが後世に言問が縮まって「言ノ浦(ことのうら)」となり、さらに「言」が「琴」に変化して「琴ノ浦」となったと言われています。また、このほかに海岸に寄せては返す波の音が琴を弾いた音のようであったとのことから「琴ノ浦」と呼ばれるようになったともいわれています。
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(船上山・大山・三徳山)

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ときには勇ましく、ときには華やかに、歴史の舞台となったこの町は、 雄大で優美な手つかずの自然が残る景勝の地。 静かに佇むそのひとつひとつを丁寧に辿れば、 やさしい琴浦の素顔が見えてきます。

伯耆三山(船上山・大山・三徳山)  2010/05/17




船上山は山岳仏教の聖地だった

 船上山が古来、大山や三徳山とともに山岳仏教の聖地だったことは、『伯耆民談記』(松岡布政著)の巻三の「仏閣の部」に、船上山・大山・美徳山が並べて記述されていることで明かであり、その、『伯耆民談記』には、船上山は次のように記されている。

 智積(ちしゃく)仙人の連行の旧柄、赤衣上人の草創の山なり。 船上山智積院と号す。地蔵権現を本尊とし、十一面観音、多門天を脇主として、三所権現と称するなり。本社より百歩余り去って、熊野権現の社あり。奥の院と号す。不動の滝として大なる瀑布西の方に見ゆ。南の方に烏ヶ山、矢筈ヶ山、兜ヶ山なんど云う三嶺鋭どに聳え、麓より山道をうかがえば、西は岩石をたたみたる九十九(つづら)折(おり)、三十余町に及び、東は猿坂とて十余町も有らん嶮阻(けんそ)の切所なり。当国三つの嶮嶺にして、地理の景色、筆墨の及ぶ所にあらず。

 また「船上山根元記」と題した古文書(琴浦町指定文化財)には次のように記されている。

=船上山縁記=
一、 白州八橋郡船上山三所大権現と尊敬し奉るは、本地は地蔵大菩薩、左の御脇立は霊蔵権現、右の御脇立は毘沙門天なり。

一、 熊野大権現社あり。 
そもそも船上山と申すは、智積仙人開闢(かいびゃく)の地にて、人皇四代懿徳天皇の御建立、夫より寛保弐巳年まで二千二百五十八歳に成る。

  右の記事によれば「船上山根元記」は、『伯耆民談記』とほぼ同じ頃に記されたものと思われ、その著者は恵海(智積院四世)と伝えられているから、本尊の記録などは「船上山根元記」の方が正しいと言わねばならない。ただし智積仙人の開闢(かいびゃく)を懿徳天皇威徳天皇の時代とするのは信じがたい。なぜなら大山の開基も智積仙人であるとする『伯耆民談記』には、大山の開基は「称徳天皇の勅願」と記されており、おそらく『船上山根元記」が「懿徳」と称したのは「称徳」の写し誤りなのであろう。すなわち船上山は大山が称徳天皇(在位七六四〜七六九)の御代に開山されたものと同時期に開山したと考えるべきなのである。当時は所謂、天平時代で東大寺が建立されたりして、仏教が盛んだった時代である。

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