河本家が赤崎に移住するようになったのは、尼子氏の重臣であった河本弥兵衛隆任が、 月山城の落城の際に落ち延びてきてからで、元亀2年(1571)の頃である。 元和三年(一六一七)、二代目の助次郎の時に江戸の名僧霊 その後、松江城主の堀尾家が三代忠晴の時に絶家になった頃のこと、初代吉晴の孫の菊姫が伯耆国にやって来て、河本家三代目の長兵衛の妻となった。菊姫と長兵衛とは血縁関係にあったのである。幸い二人の男の子が生まれたので、長男に堀尾姓を名乗らせ、次男の甚右衛門に河本家を継がせた。 河本家が赤崎村から今の篦津に移って来たのは五代目の弥三右衛門の時で、寛文年間(一六七〇頃)のことである。以来、公儀の大庄屋の仕事を代々勤め、八橋郡の地方行政の中心的な役割を果たすと共に、豪農としての地歩を築いて来た。幕末になって海岸整備が厳重となり、赤崎にも砲台が備えられると、その取締役を命じられた通繕は、自ら砲術の習得にも努めた。幕末の鳥取藩主の池田慶徳は、地方巡視の際に河本家に立ち寄って休憩をしたりしている。 |
国の指定重要文化財となった河本家住宅は、昭和五十三年度の屋根葺替えの際に、棟札の調査で貞享五年(一六八八)の建築と分かった。当時の当主は五代目の弥三右衛門で、篦津に移って来てから約二十年後のことである。 |
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河本家には、文人画家の池大雅の筆になる屏風が所蔵されており、大雅が出雲へ行く道中に立ち寄ったと言い伝えられている。宝暦年間(一七六〇年頃)のことであるから、七代目藤兵衛の時代のことである。藤兵衛には文雅の嗜みがあった。 |
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■名称 | 国指定重要文化財 河本家住宅 (カワモトケジュウタク) |
■住所 | 〒689-2544 鳥取県東伯郡琴浦町篦津393 |
■電話番号 |
琴浦町教育委員会社会教育課 0858-52-1161 【ガイド申込】 琴浦町観光協会 0858-55-7811 |
■開館日 | 春期・秋期に2回公開していますが、随時見学も可能です。 (要問合せ) |
■入館料 | ・一般 300円 ・団体 250円(20名以上) |
■駐車場 | あり ※大型バス2台乗り入れ可能。 |
■公式サイト | http://kawamotoke.com/ |
■備考 |
春期・秋期に2回 一般公開をしています。 その他の見学については教育委員会の方へお申し込み下さい。 ガイドご希望の場合は、【琴浦町観光ガイドの会】のページをご覧いただき、琴浦町観光協会へお問合せください。 |
鳥取県東伯郡琴浦町篦津393 上中村線「篦津」バス停で乗降。 ※時刻表はコチラ。 |
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