八橋岩船地蔵菩薩の由来

 伯耆國八橋の岩船地蔵は、古くから生身地蔵の霊場として親しまれ、親交された由緒ある地蔵です。

 その起源は、古代雄略天皇の御代に大洪水があり、その折、この谷の地底から舟形の岩が現れ、その上に地蔵尊がご安座なさっていたので、岩船地蔵と呼ぶようになりました。この地蔵尊は、信仰する人の夢枕に現れては、人々の苦難を救済されるというように、極めて霊験あらたかで、何時とはなく熱心に信仰されるようになり、堂、鐘楼等も造営され、多くの人が参詣するようになりました。しかし、天安元年(西暦857年)3月12日の山火事により、堂塔が激しく消失しましたが、まもなく再建され、公文村光徳寺の末寺となりました。寛永9年からは、津田公の菩提寺大玄寺の支配下となりました。

 その後再び、万治年間(西暦1658年~1661年)の火災により消失しましたが、この時は再建を志す者がありませんでした。そこで麓村のある翁の夢枕にお立ちになり、「余は下野国へ行き、東国の仏縁の人々を救済することにしたい」と告げて、下野国岩船山(栃木県岩船町)へお出ましになりました。そこでも霊験あらたかで、岩船地蔵と評判し、近国の民衆が熱心に信心するようになりました。

 寛政7年(西暦1796年)8月2日、八橋新町のある女商人の夢枕にお立ちになり、「余は、岩船地蔵であるが、元の国である八橋の岩船に帰ることにするから、堂を建立してもらいたい」とお告げがありました。そこで女商人が願主となり、寄付を募って厨子堂が再建されました。その後、文政3年(西暦1820年)頃までは厨子堂があり、熱心に信仰されていたが、何時の頃にか廃絶し、現在では谷間の岩船と石地蔵が僅かに昔の面影を留めるに過ぎません。

 

八橋岩船地蔵菩薩の伝承

 首地蔵はその昔、大洪水の折、胴体が流されて隠岐の島へ漂着し、「首なし地蔵」と称して祀られているとも伝えられています。

 

八橋岩船地蔵菩薩の現在

 昭和61年大成地域の畜産団地建設を契機として、岩船地蔵保存会が組織され、再び岩船地蔵菩薩が現代に蘇ることになりました。

 毎年8月23日には、『岩船地蔵祭』が執り行なわれます。

 

 

アクセス

鳥取県東伯郡琴浦町大成

 

 

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